ストーリー

家事を手伝う中で、収納の使いづらさや家の暗さが気になってしょうがない 住宅メーカーのチラシを集めて間取りをアレンジして楽しむのが趣味の小学生時代
わけあって母親の代わりに祖母に育てられた私は、祖母の教えで家のことをよく手伝っていました。
小学校低学年のころからお料理の手伝いや食器洗い、掃除などをする中で、キッチン収納の使いにくさや、いつもモノでいっぱいのダイニングテーブル、いくら掃除をしても綺麗になったように見えないトイレなど、家の使いづらさや古さ、暗さが嫌でした。
そんな子ども時代の私の楽しみは、週末の新聞折り込みのハウスメーカーのチラシ。そこには夢のマイホームが載っていて、平面図の間取りを井伊谷家の6 人家族仕様に直すのが楽しみでした。

祖父が倒れ、祖母が怪我で入院・・・ 家の準備不足は介助する家族の負担を増やし不幸にすると知った中高生時代
小学校2-3年生の頃、同居していた祖父が急に倒れ入院。
祖母が付添いで数か月不在だったので、私は父や叔母が仕事から帰るまで一人でお留守番することに。冬の夜は、とても寒くて暗くて心細く感じました。
後で分かったことですが、祖父が倒れたのはヒートショックによる脳内出血でした。
また、中高生の頃、祖母が外で転倒し、大腿骨を骨折して手術・入院。退院しても、しゃがめないので和式トイレが使えないという問題が発生します。和式トイレに便座をかぶせて洋式のように使える便座を置きましたが、被せた便座は汚物で汚れます…。その掃除は、私がやるしかありませんでした。
家の準備不足は、介助する家族の負担を増やし不幸にすることを体験しました。

24歳のとき3世代が暮らす自宅を建て替え 近い将来介護が必要になることを想定した家づくりを経験
24歳のとき、祖父母と叔母二人、父と私の6人が暮らせるよう家を建て替えることに。
毎週末建設会社さんと打ち合わせして進める中、特に重視したのが祖父母の生活のしやすさでした。
2階リビングが流行り始めた頃でしたが、近い将来祖父母の介護が必要になる可能性を考え、全ての水回りと寝室にできる部屋を一階に作ることは譲りませんでした。
それから10年後に祖父、その数年後に祖母の介助が必要になりましたが、一部に手すりを付ける位で不自由せず暮らすことができました。

現場の一つ一つが勉強。その積み重ねが経験と実績に。 いよいよ<住>を自分の仕事にしようと決意
もともと手芸や工作が好きだったこともあり、高校卒業後に服地やカーテン地、手芸材料を取り扱うハンドメイド用品の大型専門店で販売員として6年勤務。
「何か手に職をつけて自分が成長できる仕事に就きたい」そう考えたとき、仕事にしたいと思ったのはやはり「住」に関わる仕事でした。
就職したのは内装工事会社「小林装飾㈱」。何のスキルも経験もない中、営業・インテリアコーディネーターとして経験を積みます。 そんな中、リフォーム専業の別会社を作ることになり移籍したのが、現在取締役社長を務める「㈱リバース・コバヤシ」。分からないことばかりの現場で、お客様お一人お一人の細かい悩みを聞きそれを解決したい一心で、メーカーさんや問屋さん、職人さんに教えてもらいながらひとつづつ覚えていきました。
経験を積み、2級建築士の資格を取得します。

お一人お一人に寄り添って暮らしやすい家をご提案 経験を活かし、50~60代の方が生涯安心して暮らせる家づくりをご提案
未経験から始めた建築の仕事も30年が経ち、お客様のお悩み・お困りごとを解決するべく、お一人お一人に真剣に、真摯に寄り添い経験・実績を積んできました。
お客様の要望通りのものを作るのではなく、家族構成や予算などから本当に必要なもの、快適に暮らすための最適なかたちを常に模索しています。
リフォームする時にはお客様自身も気づいていない、近い将来身体が動かしづらくなると起こりうる不便も、自身の介護経験を活かして工夫し、生涯安心して快適に暮らせる家づくりを提案し続けています。